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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)10759号 判決 1988年12月27日

原告 佐藤登

<ほか三名>

原告ら訴訟代理人弁護士 鈴木利廣

同 末吉宜子

同 吉沢寛

被告 諏訪八稜

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告佐藤登に対し、金三二一三万円、原告佐藤香織、同佐藤樹里及び同佐藤安生に対し、各金一二五四万円並びに右各金員に対する昭和五八年七月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告佐藤登(以下「原告登」とう。)は、亡佐藤安子(以下「安子」という。)の夫であり、原告佐藤香織(以下「原告香織」という。)、原告佐藤樹里(以下「原告樹里」という。)、原告佐藤安生(以下「原告安生」という。)はいずれも原告登と安子との間に生まれた子である。

(二) 被告は、肩書住所地において諏訪医院の名称をもって、外科及び産婦人科を診療科目とする有床診療所(病床数四、以下「被告診療所」という。)を開設している医師である。

2  診療の経緯

(一) 安子は、昭和四九年九月二二日に原告登と婚姻し、昭和五一年五月一五日に厚生会病院において原告香織を、昭和五三年三月一七日に被告診療所において原告樹里をそれぞれ正常分娩により出産した。

(二) 安子は、昭和五七年一二月九日に被告の診察を受けて妊娠(出産予定日昭和五八年七月一〇日ないし同月二二日ころ)と診断され、その際、被告との間で診療契約を締結した。

(三) 安子は、同日以降、被告診療所において被告の定期検診を受けていたところ、昭和五八年七月二九日午前三時ころに陣痛が発来し、同日午前七時ころ、分娩のため被告診療所に入院し、同日午前九時一〇分、経膣分娩により原告安生(出産当時体重三四〇〇グラム)を出産した。

しかし、安子(当時三二歳)は、出産終了後、出血が止まらず、同日午前一一時三〇分、死亡した。

3  安子の死亡原因

安子の死因は、東京慈恵会医科大学第三病院法医学教室解剖室の解剖結果によれば、分娩に併発した不完全子宮破裂に基づく外出血による失血でこれに軽度の羊水塞栓が競合したものと推定される。

4  被告の責任

被告の安子に対する処置には、以下に記載するとおり、診療契約上の不適切な措置または過失があり、これによって安子が死亡したものというべきであり、従って、被告は、原告らに対して、債務不履行又は不法行為に基づき、安子の死亡により生じた損害を賠償すべき義務がある(原告らは、これにつき、債務不履行責任と不法行為責任とを選択的に主張する。)。

(一) 自己決定権侵害

分娩は、本来妊婦自身の自然の営みであり、医療行為は分娩の介助にすぎず、如何なる介助方法によるべきかは妊婦自身の選択・自己決定に委ねられるべきものであるから、被告は、少なくとも、安子に無痛分娩に伴う危険を説明し、安子に出産方法について選択の機会を与えるべきであったにもかかわらずこれをせず、安子の承諾を得ないままに無痛分娩を実施し、かつ、同様に分娩促進剤のアトニンOを使用し、さらにまた吸引分娩を選択し、安子の自己決定権を侵害した。

(二) 分娩介助の方法選択の過誤

(1) 無痛分娩の選択

無痛分娩においては、分娩促進のため子宮収縮剤を使用せざるをえないため、薬剤の過剰投与による子宮破裂の可能性が大きく、しかも、安子の場合は高齢の経産婦で中絶経験もあり、子宮破裂の恐れがより大きかったのであるから、被告は安子に対し無痛分娩を出産方法として選択すべきではなかった。

(2) アトニンOの使用

被告が、分娩を促進するために使用したアトニンOは子宮収縮を促進し、その乱用により過強陣痛をもたらし、これによって子宮破裂を誘発する危険性があることが知られており、微弱陣痛等のために使用する必要がある場合でも原則として調節性に富む点滴静注によるべきであり、やむを得ず皮下・筋注する場合には〇・二五単位ないし〇・五単位から開始して、三〇分ないし五〇分毎に投与すべきであるところ、被告は、安子に対し、微弱陣痛等アトニンO投与の必要性がないにもかかわらず、単に迅速分娩の目的で漫然と、しかも、一単位を皮下注射の方法で投与し、これにより安子に過強陣痛をもたらし不完全子宮破裂を誘発させた過失がある。

(3) 吸引分娩の選択

吸引分娩は、頸管裂傷をもたらし、ひいては子宮破裂の原因となりうる危険性のあるものであるから、母児いずれかの側に分娩を急速に終了させる必要のある場合に限られるところ、被告は、母児いずれの側にも分娩を急速に終了させるべき理由がなかったにもかかわらず、単なる迅速分娩の目的で吸引分娩を実施したため安子に頸管裂傷、子宮破裂をもたらした。

(三) 分娩状態の監視の不実施

無痛分娩、吸引分娩を実施した場合には、前記のとおり子宮破裂が生ずる危険性があり、このような事態が発生したときは、これをただちに発見し止血しなければ、出血のため短時間のうちにショック状態に陥り、失血死に至る危険性がるのであるから、被告は、監視態勢を整え、血圧、脈血、体温、出血、量等のバイタルサインの点検を行ない、異常事態の発見に努めなければならないにもかかわらず、これを怠り、不完全子宮破裂のサインである異常出血及び安子のショック状態の発見が遅れ、輸血判断及び子宮全摘出術の判断が遅れた。

(四) 分娩後の出血に対する措置の過誤

(1) 出血原因の誤診

分娩後少なくとも三時間程度は出血に対する厳重な監視を怠ってはならず、監視の具体的方法としては内診が確実かつ容易な方法であるところ、安子の失血は不完全子宮破裂によるものであって、内診をすればその判断ができたにもかかわらず、被告は内診をしなかったため子宮破裂との判断を下すことができずに、頸管裂傷と診断し、その結果保存的止血措置及び部分的な頸管縫合をなしたにとどまり、最終的止血措置である開腹手術による子宮裂傷部の縫合あるいは子宮全摘出術を実施する機会を失した。

(2) 輸血判断の遅延

被告は、胎盤娩出後、午前九時四〇頃にいたり、安子の出血が多いことに気付いたのであるから、その時点で速やかに輸血の準備をすべきであったにもかかわらず、被告は、保存血を直ちに手配せず、午前一〇時一三分ころに至って初めて、献血供給事業団に対し、保存血の注文をしたため、保存血到着が、午前一〇時三七分と遅れた。

(3) スパチーム投与の過誤

被告が安子に投与したスパチームは心機能に悪影響を与え、ショックを引起こすことから昭和五〇年頃に製造中止になった薬剤であり、右スパチームの投与により安子は心機能の障害を起こし、死亡したものである。

5  損害

原告らが安子の死亡により被った損害は次のとおりである。

(一) 安子の損害

(1) 安子の逸失利益

安子は死亡当時三二歳で、本件事故がなければ六七歳までの三五年間家事労働に従事することができたものであり、この間の家事労働の評価額は昭和五八年度賃金センサス「産業計、女子労働者、学歴計三二歳」の給与額により、右期間中の安子の生活費は、右金額の三〇パーセントとみるのが相当であるから、以上を基礎として新ホフマン係数により中間利息を控除して安子の逸失利益の現価を算定すると、次のとおり合計金三二四三万円(一万円未満切捨て)となる。

二三二・六三×一九・九一七×七〇パーセント=三二四三万円

(2) 慰謝料

本件事故による安子の悲嘆、痛恨は計り知れない。安子の右精神的苦痛に対する慰謝料は金一八〇〇万円が相当である。

(3) 右(1)、(2)の合計金五〇四三万円が安子の被った損害であるところ、原告登は夫として、その余の原告らは子として、安子の権利を法定相続分に従い、原告登がその二分の一以内である金二五二一万円を、その余の原告らはそれぞれその六分の一以内である金八四〇万円を相続した。

(二) 原告らの固有の慰謝料

原告登は安子の夫として、その余の原告らはそれぞれ安子の子として安子の死亡により甚大な精神的苦痛を被った。原告らの右精神的苦痛に対する慰謝料は各金三〇〇万円が相当である。

(三) 葬儀費用

原告登は、安子の葬儀費用として、金一〇〇万円を支出した。

(四) 弁護士費用

原告らは、本訴の提起及び追行を弁護士に委任し、弁護士費用のうち、各原告の請求額に対する約一〇パーセント相当額(登につき金二九二万円、その余の原告につき各金一一四万円)は、いずれも被告が負担すべき損害である。

6  結語

よって、原告らは被告に対し、債務不履行または不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告登については金三二一二万円、その余の原告については各金一二四五万円並びに右各金員に対する債務不履行または不法行為の後である昭和五八年七月三〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の反論

1  請求原因1(一)(二)(当事者)の事実は認める。

2  同2(一)のうち、原告香織を出産した病院名は不知。その余の事実は認める。同2(二)(三)の事実は認める。

なお、被告の安子に対する診療経過は次のとおりである。

(一) 安子は既往分娩歴二回(昭和五一年五月一五日、同五三年三月一七日。二回目は被告診療所で出産)である。

被告が、昭和五十七年一二月九日、安子を診察したところ、妊娠反応が陽性であった。その後、安子は来院して被告の定期検診を受けたが、昭和五八年二月ころ、安子に軽度の貧血を認めた以外は、母体・胎児とも順調に経過した。昭和五八年七月一日、最終外来検診においても、子宮口は一指開大で、児の大きさその他に異常はなかった。

(二) 昭和五八年七月二九日午前六時四〇分ころ、安子から午前三時来産徴がある旨の連絡があったので、被告は直ちに来院を指示したところ、安子は同日午前七時過ぎ来院し入院した。入院時、子宮口三指開大でやや硬く、発作間隔一〇―五分、児心音正常であったが、分娩室に入るには早いと判断し、二階病室で待機させた。

(三) 同日午前八時、陣痛が始り、午前八時四五分ころ安子は分娩室に入室した。被告は、安子に対し、陣痛を和らげるためにソセゴン一五ミリグラム及びアタラックスP二五ミリグラムを、分娩を促進するためにアトニンO一単位をそれぞれ皮下注射し、午前九時五分ころ笑気ガスをマスクにて五ないし一〇分吸引させ、午前九時八分ころ吸引分娩を行ない、安子は午前九時一〇分に体重三四〇〇グラムの男児(原告安生)を分娩した。さらに、被告は、安子にメテルギンを皮下注射し、胎盤を娩出したうえで、会陰部縫合を行なった。

(四) 被告は、午前九時四〇分ころ、安子の産後の出血が多いことに気付き、(内診はしないまま)止血措置として子宮内にガーゼタンポンを挿入した。ところが、出血がさらに多くなったので静脈切開を実施して点滴(ソルビットハルトマン)を開始し、血液型検査を実施し、電話で訴外倉田医師への応援依頼及び献血供給事業団に保存血注文(六〇〇cc)を行なった。

(五) 午前一〇時三五分ころ、保存血が到着し、輸液三か所のうち一か所を輸血にかえ、ガーゼタンポンを追加し、酸素吸入を開始した。倉田医師が到着し、膣鏡診をしたところ、頸管部位からの出血はあるものの裂傷ははっきりとは認められなかったが、念の為その部位を縫合し、スパチームを点滴静注したところ、その後容体が急変し、心肺蘇生術を約三〇分実施したが、午前一一時三〇分安子は死亡した。

(六) 子宮内に挿入したガーゼタンポンは約五〇枚以上、外出血量は約二〇〇〇cc、吸入酸素量は約二〇〇〇ccであった。

3  同3項の事実は認める。

4  同4(被告の責任)項の被告の不適切な措置または過失に関する原告らの主張は全て争う。被告の反論は以下のとおりである。

(一) 請求原因4(一)の主張について

安子は第二子を被告診療所において出産しており、被告診療所における出産方法についてはよく知っていたため詳しく説明を繰返さなかっただけで、安子の同意なく無痛分娩を実施したわけではない。

(二) 請求原因4(二)(1)(無痛分娩の選択)の主張に対して

不完全子宮破裂は突発的に起こるものであり、無痛分娩を選択したことと不完全子宮破裂との間には因果関係がない。

(三) 同4(二)(2)(アトニンOの使用)の主張について

アトニンOが本件不完全子宮破裂の原因であったとの主張は否認する。一般論として、過強陣痛が子宮破裂の原因とされ、アトニンOが過強陣痛の原因となり得るという意味で因果関係が認められることはあるが、本件の場合、安子に過強陣痛は認められない。アトニンOの乱用があれば、アトニンOの子宮収縮作用自体で子宮が破裂することが極めて稀に考えられるかもしれないが、本件の場合、その乱用は認められない。

本件の場合、分娩第二期促進のため適量投与したものである。

(四) 同4(二)(3)(吸引分娩の選択)の主張について

本件における吸引は入口部吸引ではなく、排臨状態で頭部に用手に代って吸引器を当てて娩出させるというものであって、現在ではむしろ慣行的になされている操作であり、この吸引操作により安子の不完全子宮破裂を発生させたり促進したものではない。

(五) 同4(三)(分娩状態の監視の不実施)の主張について

被告が、異常出血を認めた九時四〇分の時点において、安子はショック状態になく、プレショック状態でもなかった。また、被告は全身状態その他を観察しながら処置を行なったのであり、全体としてバイタルサインを点検しており、異常出血及び安子のショック状態の発見は遅れていない。

(六) 同4(四)(1)(出血原因の誤認)の主張について

当時開業医の医療水準において、分娩後本件経過のような事態が生じた場合でも常に子宮内触診(右施術は、産婦に非常な苦痛を与え、これを回避するには完全な麻酔を必要とする。)を行なわなければならないということはない。

(七) 同4(四)(2)(輸血判断の遅延)の主張について

異常出血を発見した時点では、第一に血管確保及び輸液が必要であり、本件の場合も血管確保のため静脈注射の先が膨れるので順次手足三か所の静脈切開をして血管を確保したうえで、輸血用保存血の依頼をしたので、注文が一〇時一三分になり、保存血の到着がそれから三〇分程度要したのはやむをえない。

(八) 同4(四)(3)(スパチーム投与の過誤)の主張について

硫酸スパルティン(スパチーム)の静注は子宮収縮増強のためには最も有効であり、本件では収縮による止血効果を狙って使用されたものであるが、輸液で薄められており結局その効果を見ずに安子の容体は急変した。従って本剤が安子の死期を早めたという可能性はない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因2(診療の経緯)のうち、安子が原告香織を出産した病院名を除くその余の事実及び請求原因3の事実(安子の死亡原因)は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、安子の本件出産の経緯と被告診療所における被告の措置は次のとおりであったことが認められる。

1  安子は、昭和二五年八月二七日生まれの女性であり、昭和四九年九月二二日原告登と結婚し、昭和五一年五月一五日に厚生会病院において第一子である原告香織を、昭和五三年三月一七日に被告診療所において第二子である原告樹里をそれぞれ正常分娩により出産し、昭和五四年には、被告診療所において人工妊娠中絶手術を受けた。

2  安子は、昭和五七年一〇月ころ妊娠し、同年一二月九日に被告の診療を受けて右妊娠を知り、かつ出産予定日は昭和五八年七月一〇日ないし同月二二日ころと診断された。

その後、安子は、出産に至るまでの間一か月に一回くらいの割合で被告診療所に通院し、被告の診療を受けていたが、昭和五八年二月ころに軽度の貧血症の症状が認められたほかは母体、胎児とも経過は順調であった。

昭和五八年七月一日の最終外来診察の際にも、子宮口は一指開大で、児の大きさその他に異常はなかった。

3  安子は、出産予定日を過ぎた昭和五八年七月二九日午前六時四〇分ころ(以下、同日のことについては、時刻のみを記載する。)、被告に対し、午前三時来産徴がある旨の電話連絡をし、被告の指示により知前七時過ぎ分娩のため被告診療所に入院した。右入院時の安子の所見は、子宮口三指開大でやや硬く、発作間隔一〇―五分、児心音正常であった。被告は右所見に基づき分娩室に入るには早いと判断し、待機のため安子を二階病室に案内した。

午前八時、陣痛が始まり、午前八時四五分ころ安子は分娩室に入室した。被告は、安子に対し、陣痛を和らげるための鎮痛剤ソセゴン一五ミリグラム及び精神安定剤アタラックス二五ミリグラムを、分娩を促進するためのアトニンO一単位をそれぞれ皮下注射し、午前九時五分ころ笑気ガスをマスクにて五ないし一〇分吸引させ、午前九時八分ころ吸引分娩を行なった。安子は、午前九時一〇分、経膣分娩により原告安生(出産時体重三四〇〇グラム)を出産した。

その後、被告は安子に子宮収縮剤メテルギンを皮下注射し、胎盤を娩出したうえで、会陰縫合を行なった。

4  午前九時四〇分ころ、被告は安子の膣部からの出血が多いことに気付いた。被告は、出産直後の出血がほとんどなく、子宮収縮も良好であったことから、弛緩出血や頸管裂傷の可能性は少ないと判断したが、頸管裂傷とすればガーゼタンポンで圧迫して止血するのが通例であることから、念のため止血処置として膣腔内にガーゼタンポンを挿入した。

しかし、出血量がさらに多くなったので、血管確保のため手足三か所(左手、両足の三か所、右手は切開を試みるも失敗。)の静脈切開を実施して電解質溶液であるソルビットハルトマン液の点滴を開始し、血液型検査を実施したうえ、午前一〇時一三分、妻を通じて電話で献血供給事業団に保存血(A型二〇〇ccを三本)を注文するとともに、そのころ、同様に妻を通じて電話で倉田医師に応援を依頼した。

午前一〇時三七分ころ、保存血が到着し、輸液三か所のうち一か所を輸血に換えたが、出血が多くなったので、ガーゼタンポンを追加し、酸素吸入も開始した。

その後、倉田医師が到着し、膣鏡診をしたところ頸管部位からの出血はあるものの裂傷ははっきりとは認められなかったが、午前一一時ころ、念のため倉田医師とともにその部位を縫合し、硫酸スパルティンを点滴静止したが、その後安子の容体が急変し心肺蘇生術を約三〇分実施したが午前一一時三〇分死亡した。

なお、安子の産後の出血量は合計約二〇〇〇ccに達したものと推定され、安子の膣腔内に挿入したガーゼタンポンは約五〇枚以上、点滴量は約二〇〇〇cc、輸血量は約二〇〇cc、酸素吸入量は二〇〇〇ccに達した。

5  安子の解剖結果によれば、子宮左側壁に不完全子宮破裂が認められ、右裂傷は解剖時において九センチの長さで縦に走り、左側の頸管裂傷と連絡していたことが認められ、またこれらの解剖所見からすると、安子の死亡原因は、分娩に併発した不完全子宮破裂に基づく失血に羊水塞栓症が競合したものと認められた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  そこで請求原因4(被告の責任)について判断する。

1  自己決定権侵害の主張について

原告らは、分娩は本来妊婦自身の自然の営みであり、医療行為は分娩の介助にすぎず、如何なる介助方法によるべきかは妊婦自身の選択・自己決定に委ねられるべきものであるにもかかわらず、被告は安子の承諾を得ないままに無痛分娩を実施し、かつ、同様に分娩促進剤のアトニンOを使用し、さらにまた吸引分娩を選択したことは、安子の自己決定権を侵害したものである旨主張する。

しかしながら、《証拠省略》に前記認定事実を総合すると、無痛分娩は本件事故発生当時一般的に行われていた分娩方法の一つであって、被告診療所においては、従来全例について無痛分娩を実施していたこと、そして、無痛分娩の場合には、麻酔の程度にもよるが分娩時の「いきみ」がなくなるため、陣痛を強くするための子宮収縮剤の使用、吸引分娩の使用が必要とされる場合が多く、したがって、無痛分娩を行なうことを決定した場合には、アトニンO及び吸引分娩の使用はやむをえないこと、ところで、被告診療所においては、右出産介助の方法につき、一般に妊娠八か月時に母親教室を開いて、被告診療所におけるお産介助の内容を妊婦に対して説明していること、安子は被告診療所において第二子を無痛分娩で出産しており、被告診療所における出産介助の内容を知りながら、本件出産に際しても、被告診療所を選択したものであること、以上の事実を認めることが出来る。

そうすると、安子が第三子出産にあたり被告診療所を選択したことは、被告診療所における無痛分娩の方法及びそれに伴う付随的な措置であるアトニンO及び吸引分娩の使用をも選択したものと認めるのを相当とするというべきである。よって、原告らの右主張は理由がない。

2  分娩介助の方法の過誤の主張について

(一)  無痛分娩の選択について

原告らは、安子が多産婦で妊娠中絶経験があり高齢出産である安子の出産について、無痛分娩すなわち陣痛という子宮収縮に伴う疼痛を麻酔により取除く形態での分娩方法を選択したこと自体に過失があると主張する。

しかし、《証拠省略》によれば、子宮破裂の頻度はほぼ二〇〇〇例に一例と少なく、しかも帝王切開等の瘢痕部分が破裂する場合(子宮破裂の原因となる瘢痕としては帝王切開によるそれが一番多い)、子宮収縮剤の乱用等の強引な分娩により破裂する場合、自然に破裂する場合とその原因は様々であり、安子が経産婦であり妊娠中絶歴がある(なお、安子が多産婦であるとか、高齢出産であるとは認められない。)というだけの理由で無痛分娩術の適応性がなくなるとはいえないこと、従ってまた無痛分娩を選択したこと自体に過失があるということはできず、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。

(二)  アトニンOの使用について

原告らは、被告が医学的適応のない安子にアトニンOを使用し、しかも、その用法が過っていたため、安子に不完全子宮破裂が発生したと主張する。

(1) まず、アトニンOの投与が本件不完全子宮破裂の原因となったか否かを検討する。

《証拠省略》によれば、子宮破裂の臨床例二〇例のうち九例が薬物により誘発されたか又は器械的操作による子宮破裂であったとの長崎大学医学部産婦人科学教室の昭和五五年の調査結果が出ていること、子宮破裂の成因因子がアトニンOの注射と考えられるものは三三五例中三二例であったとの東京医科大学産婦人科学教室の昭和五五年の調査結果が出ていること、更にイギリスで発行されている代表的な産科学の著書(一九六四年発行)でも安易なアトニンOの使用は子宮破裂を起こす可能性があると考えられており、同時にその著書に引用されている文献では四五例の子宮破裂中五例がアトニンOによるものであったことが報告されていること、鑑定人野末源一の鑑定の結果(第一、二回)でもアトニンOが何等かの意味で安子の子宮破裂に関与したことが想像される旨の意見を述べていることの各事実が認められ、右事実に照すと本件の場合、アトニンOの使用が、結果的に見て、本件不完全子宮破裂の原因の一つとなった可能性があることは否定できない。

(2) そこで次に、アトニンOの使用方法に過失があったか否かにつき検討する。

《証拠省略》によれば、一方において、アトニンOの用法は原則として点滴静注によること、筋注、皮下静注法は調節性に欠ける欠点があるので、必要性のある場合にしかも、〇・一単位から始め、効果がなければ、〇・二五単位、その後は必要に応じて増量していくか、あるいは〇・三単位から始め、三〇分毎に〇・三単位を注射する方法によるのが妥当であるとの記載がある文献が存在するが、他方において、《証拠省略》では、アトニンOの筋注法が、注射後の効果発現時間と量との関係に個人差が多く、誘発効果が不確実であり、しかも調節性に欠けている欠点があるにもかかわらず、この方法が点滴静注法に比べて産婦に苦痛を与えず、手技が簡単であるため、現実には、かなり広く分娩誘発にも使用され、その場合、初回〇・五ないし一単位を皮下注射により投与し、以後三〇分毎に同量の投与を繰返すか、〇・五単位ずつ増量する分割漸増法がとられている旨の指摘がなされている文献があること(但し問題があるとの指摘はなされている。)、《証拠省略》でもアトニンOは一般に使用されている子宮収縮剤であり薬剤選択、使用時期、使用量等に関し格別の疑問を呈していないこと、また、《証拠省略》によっても、経産婦にはアトニンO一単位を皮下注射することが当時一般的に行なわれていたことの各事実が認められ、これらの事実を彼此勘案すると、被告が前記認定の時期・方法において同認定の量のアトニンOを安子に対して投与することにより、子宮破裂が生ずることを予見できたと断定することは困難であり、安子が前記のとおり三二才の経産婦であることを考慮しても右認定には消長をきたさない。

(三)  吸引分娩について

原告らは、安子には何等吸引分娩の適応がないにもかかわらず、被告が吸引分娩を施行したために不完全子宮破裂が発生し、あるいは、破裂が拡大した点に過失がある旨の主張をする。

《証拠省略》によれば、安子は経産婦であり、胎児が発露した後に吸引を開始していること、右の時点で頸管は通常全開大していることが認められ、右事実によれば、吸引分娩が子宮破裂の原因となったとは認め難く、むしろ、吸引分娩実施以前に既に裂傷が生じていた可能性が高いものと認められる。

もっとも、吸引分娩以前に安子に裂傷が発生していた可能性がある以上、吸引によりその裂傷が拡大した可能性は否定できないところであるが、吸引分娩の実施に際し裂傷の存在を知り、吸引分娩によりそれが拡大することを予見できたとは認め難い。即ち、安子の一般的症状、麻酔の投与時期並びに第三子が無事出産したことを考え併せると、不完全子宮破裂が、児の娩出直前付近に発生したと認めるのが合理的であるところ、前記認定のとおり分娩直後、安子には異常出血は認められなかったこと、出血性のショックは全血液量の三〇パーセント、成人で一〇〇〇ないし一五〇〇ミリリットルの出血がおこってから初めてショック症状が現れること(この点は《証拠省略》により認められる。)の各事実に照らすと、被告が吸引を開始しようとした段階では安子に不完全子宮破裂が発生し、または発生しつつあることを被告は知りえたとは認め難い。

なお、《証拠省略》によれば、分娩第二期を短縮することは、新生児仮死等の発生を防止するうえで意義のある処置であることが認められるところ、被告の吸引分娩措置は、胎児が発露後、分娩第二期を短縮するために行なわれているものであるから、その処置の相当性を認めることができ、いずれにしても吸引分娩につき被告に過失があるとの原告らの主張を認めるに足る証拠はない。

3  分娩状態の監視について

原告らは、患者の異常を発見するための手掛かりとなるバイタルサインのチェック及び出血量の測定がなされておらず輸血判断及び子宮全摘出術実施の判断が遅れた旨主張する。

(一)  そこで検討するに、分娩時大出血が発生すれば短時間のうちにショック状態に陥り失血死に至る危険性があるのであり、分娩を介助する医師としては、当然にかかる出血を常に予測して分娩を監視するため血圧、脈拍、呼吸数等のバイタルサインを常にチェックすることが望ましいこと、また、本件のような分娩後の大出血の場合に保存的止血方法によって止血することができないときには、出血量を輸血によって補う必要があることはもちろん、機を逸しないで開腹手術により子宮全摘出術等を行ない、最終的に止血を図ることが必要となることは《証拠省略》により認められるところであるが、右各証拠によれば、右手術等の要否、その時期の判断に当たっては、出血量、その速度、血圧の推移が重要な要素となることが認められるから、最低限出血量と血圧については頻繁に測定すべき注意義務があるものというべきところ、被告本人尋問の結果によっても、被告は脈拍及び視診による全身状態(出血の有無を含む。)のチェックを行ったほかは、血圧の推移、出血量、出血速度の経時的なチェックをしていた形跡は窺えない。もっとも、《証拠省略》によれば、被告の採用した患者の脈拍及び視診による全身状態のチェックの方法のみによっても、患者のおおよその血圧の変動や異常の有無を認識することが可能であることが認められるものの、それだけでは正確かつ迅速に異常を認識することには難があるというべきであるから、被告の採用した右方法は不十分であるとのそしりは免れない。

(二)  しかしながら、前記のとおり分娩時に安子がショック状態にあったとは断定し難いこと、《証拠省略》によれば、分娩時に母体に異常がない場合、次のチェックは通常三〇分後になされること、前記認定のとおり本件においては分娩直後の出血は少なく、被告は三〇分後に至りようやく安子に異常出血を認め、直ちに止血と血管の確保に努めていたこと等の事実に照らすと、血圧呼吸数等のバイタルサインのチェック及び出血量の測定がなされていたとしても、被告が九時四〇分ころ安子の異常出血に気づくよりも前の時点で安子の異常に気づき、より早期に輸血等の判断ができたはずであるとまでは認め難い。

(三)  また、《証拠省略》によれば、安子の不完全子宮破裂による症状の進行が通常よりも急激であったこと、従って仮に九時四〇分ころ、子宮破裂との診断を確定し、一〇時ころに輸血を開始したとしても、またその時点において、転送という判断を下し、転送を開始したと考えた場合でも、転送、手術、有効な止血措置のために要する時間等を考慮すると、子宮破裂との診断ができたとしても安子を救命できた可能性は極めて少ないことが認められる。

従って、仮に被告の分娩状態の監視に不十分な点があり、そのために、不完全子宮破裂の診断が遅れたとしても、そのことと安子の死亡との間の因果関係は認め難いというべきである。

(四)  よって、原告らの右主張は採用できない。

4  分娩後の出血に対する措置について

(一)  原告らは、安子の出血は不完全子宮破裂によるものであるにもかかわらず、被告は内診による出血場所の確認を怠って判断を誤り、頸管裂傷と誤診して保存的止血措置を講ずるにとどまり、子宮全摘出術等を実施する機会を失した旨主張する。

《証拠省略》によれば、異常出血を発見した場合、まず出血場所の確認が不可欠であること、確認のためには内診あるいは膣鏡を掛けて出血場所の確認を行なう必要があることが認められるところ、被告が異常出血に気づいて後、まず止血と血管確保の措置に時間を費やし、直ちに内診、膣鏡等による出血部位の確認を行なった形跡は窺えないが、仮に九時四〇分ころ、子宮破裂との診断を確定し得たとしても、安子の症状の進行は急激であったから、転送、手術、有効な止血措置のために要する時間等を考慮すると、安子を救命できた可能性が極めて少ないことは前記3(三)において認定したとおりである。

そうすると、仮に内診等の不実施により、不完全子宮破裂の診断が遅れたとしても、そのことと安子の死亡との間の因果関係は認め難いというべきである。

(二)  原告らは、被告は午前九時四〇分には安子の異常出血に気付いていたのであるから、その時点で直ちに輸血の準備をなすべきであったにもかかわらず、被告は午前一〇時一三分になって初めて保存血の注文をしたため、輸血開始時期が遅滞した旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、被告は午前九時四〇分に安子の異常出血に気付いた時点において手足三か所の血管を確保し輸液を開始し、安子の血液型を検査したうえで、献血供給事業団に電話で保存血の注文をしている事実が認められるところ、《証拠省略》によれば出血に対する対応として最も重要なのは輸液及びそのための血管確保であること、血管確保、輸液及び止血等の措置に二〇ないし三〇分要したとしてもそれ自体異常な経過とはいえないことの各事実が認められ、右事実に照らすと安子に対する輸血が通常の場合に比し遅きに失したとまでいうことはできない。

(三)  原告らは、被告が、ショック状態にある安子に対し、心機能障害の副作用のあるスパチームを静注投与したため安子の死を招いた旨主張する。

安子に対し、死亡の三〇分前にスパチームが点滴静注されたことは前記認定のとおりであり、《証拠省略》によれば、スパチームの成分は硫酸スパルティンであり、子宮収縮、止血剤として使用されており、一般的な適用上の注意として、静注は行なわない(心筋に対する直接作用を持ち、特に静注により血液循環動態に影響を及ぼして、不整脈等の刺激伝導系異常を起こすことがある。)とされ、用法として筋注または皮下注とされていること、一方、スパチームは静脈注射用硫酸スパルティン(藤沢薬品工業株式会社製)であり、その用法として一ミリリットル(硫酸スパルティン一〇〇ミリグラム)を静脈内に注射するとされているところ、《証拠省略》によれば、硫酸スパルティンを点滴静注した時点では、既に羊水塞栓症をともなった高度の失血状態であったことが推認されるので、この注射が、安子の死期を僅かながら早めた可能性があるとしても、硫酸スパルティンの点滴静注が不完全子宮破裂に基づく外出血による失血を凌駕して安子の死因と考える根拠は見出せず、硫酸スパルティンの点滴静注と安子の死亡との間に因果関係があったとの原告らの主張を認めるに足る証拠はない。

四  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は理由がないからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺剛男 裁判官 松本史郎 猪俣和代)

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